トップ > カルチャー >  関西 > 京都府 >

幕末の京都で活躍した新選組

黒谷の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)に本陣を置いた京都守護職・松平容保(まつだいらかたもり)の「御預かり」の立場で、新選組は過激派志士たちを討伐します。1864年6月の池田屋事件では、長州や土佐などの志士が殺され、尊攘派の勢いが衰えました。

長州藩は武力による権威回復を狙い、約2000人の軍を上洛させます。御所へと進軍する長州軍に対し、孝明天皇は幕府に討伐の勅令を発しました

幕末の京都は騒乱によって荒廃していく

会津藩、桑名藩、薩摩藩などで結成された約6万の幕府軍は、御所の西側にある蛤御門(はまぐりごもん)で長州軍を迎撃します。これが「蛤御門の変」(禁門の変)です。この戦いで京都市中は荒廃しました。北は一条通、南は七条通、東は寺町、西は東堀川にいたる2万戸以上の家屋が焼け落ちてしまったのです。

幕末において明治維新に貢献した長州藩

敗戦で長州藩は一時衰退しましたが、1865年3月、クーデターにより過激派が藩政を掌握すると、反幕姿勢を強めていきます。その後薩摩藩と和解(薩長同盟)し、第二次長州征伐の勝利で形勢を覆しました。

そして1867年10月の大政奉還と王政復古の大号令により、薩長主体の新政府が樹立されました。これが明治維新のあらすじです。

幕末の京都で旧幕府軍と新政府軍が激突した「戊辰戦争」

この後、薩長は幕府勢力の完全消滅を目指し、江戸市内での強盗や放火を決行。激怒した旧幕府軍は、翌年1月2日に大阪を出て鳥羽街道を進軍し京都へ向かいます。

対する新政府軍は薩摩や長州の伏見藩邸で準備を整え、鳥羽と伏見に防衛線を敷きました。翌日、鴨川の南にある小枝橋(こえだはし)付近で両軍が激突します。会津と桑名の藩兵、新選組は伏見奉行所を拠点とし、東本願寺伏見別院に駐屯しました。鳥羽からの砲声を聞くと、こちらでも戦端が開かれます。両地域では激しい市街戦がくり広げられました。

この戦いの後も新政府軍と旧幕府軍の戦いは舞台を移して続き、一連の戦いは戊辰戦争と呼ばれました。

『京都のトリセツ』好評発売中!

日本の各県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。京都の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報を満載!

Part.1 地図で読み解く京都の大地

・京都府の4地形区と断層/京都盆地とその出入り口(逢坂と大山崎)
・琵琶湖疏水の秘密/洛中と洛外を隔てるおどい
・観光のメッカ東山の地形(地獄の入り口六道珍皇寺)
・失われた巨椋池/天橋立はなぜあのような地形になったのか
・舞鶴が重要港湾となった地形的な秘密
・霧のまち亀岡(亀岡盆地)

…などなど京都のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 京都を駆ける充実の交通網

・山城盆地を通る街道(東海道、中山道の終着地)
・若狭と京都を結ぶ「鯖街道」
・日本初の一般営業用電車が通った京都市電
・京都鉄道博物館
・梅小路
・京都の私鉄〇〇な阪急
・大赤字から復活した京都丹後鉄道

…などなど京都ならではの交通事情を網羅。

Part.3 京都の歴史を深読み!

・丹後に一大勢力が存在した証拠 三大古墳に埋葬された人々
・古代日本を支えた渡来人と京都の関係
・なぜ京都は都になったのか 恭仁京~平安京までの変
・南北朝動乱の始まり 笠置山の戦い
・信長、光秀、秀吉…みんな京都で死んだ
・幕末の騒乱の舞台となった京都
・近代化にいち早く着手!日本初の博覧会は京都の寺で開かれた

…などなど、激動の京都の歴史に興味を惹きつける。

Part.4 京都で育まれた産業や文化

・シンボル京都タワーと近代建築
・学問の都・京都の大学
・京料理とそれを支える伝統野菜
・「丹波」ブランドをめぐる攻防
・日本映画と京都
・「女酒」伏見の酒蔵
・王城の裏鬼門「男山」と岩清水八幡宮

…などなど京都の発展の歩みをたどる。

『京都のトリセツ』を購入するならこちら

リンク先での売上の一部が当サイトに還元される場合があります。
1 2

記事をシェア

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  関西 > 京都府 >

この記事に関連するタグ