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更新日: 2024年1月22日
幕末の京都市内中心部と鳥羽・伏見は勤皇の若者によって騒乱の舞台となった
幕末に騒乱の舞台となった京都市内中心部と鳥羽・伏見風雲急を告げる江戸時代末期、木屋町や河原町では暗殺事件が頻繁に起こります。
さらに2度にわたる戦いで、京都は甚大な被害をこうむりました。
目次
幕末の京都は志士の活動の場だった
江戸幕府打倒を目指し、天皇を敬い、外国人を排斥するという尊皇攘夷(そんのうじょうい)の思想につき動かされた若者が、「天誅!」と叫びながら敵対する者を次々と闇へ葬っていく…。そんな勤皇の志士たちの活動の場は、京都御所の周辺や土佐藩などの藩邸があった木屋町、河原町などの京都市内中心部です。
志士たちの中には資金調達の名目で、商家を襲う者も現れました。幕府は治安を維持するために江戸周辺の浪士を集め、警備部隊である浪士組が結成されます。当時の壬生村に屯所を構えた、のちの新選組です。
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