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織田信長の首はどこへ?

まず、織田信長。天正10年に明智光秀が起こした本能寺の変で生涯を閉じました。古来、奇襲は「夜討ち朝駆け」がセオリーです。明智光秀が1万を超える軍勢で本能寺を包囲したのも6月2日の午前6時ごろとされ、決着がついたのは8時ごろといいわれています。

現在、本能寺は寺町御池(中京区)にありますが、これは豊臣秀吉が再建したもので、織田信長が死んだ本能寺は、四条堀川交差点に近い旧本能小学校付近にありました。

当時は勝利した後、相手方の大将の首を取って見聞するのが習わしでしたが、織田信長の首の行方は不明。さまざまな憶測はあれど、誰かが持ち去ったか、もしくは焼失したか―いずれにしても、本能寺が織田信長終焉の地となったのです。

多くの武将の首がさらされた鴨川の河原

現在はカップルや観光客でにぎわう鴨川の河原ですが、かつては処刑場でした。平安京の東端で人通りも多く、また血を洗い流しやすいというメリットもあったのでしょう。

有名なのが三条河原と六条河原です。豊臣秀吉の甥・秀次は謀反の罪で高野山へ送られましたが、家族39人は三条河原で斬首されました。当時、鴨川は血で真っ赤に染まったといわれます。

南に少し下った六条河原では、平治の乱(1159年)で敗れた藤原信頼や平忠正らが打ち首となりました。今では想像もできませんが、残酷な光景が広がっていたのです。

豊臣秀吉の「中国大返し」

翌6月3日夜、もしくは4日朝に織田信長の死を知ったのが、中国地方で戦っていた羽柴秀吉です。急ぎ取って返した(これがいわゆる「中国大返し」)秀吉は、備中高松城から約230㎞を約10日で走り、京都と大阪の境にある天王山で明智光秀と対決します。この「山崎の合戦」は秀吉の圧勝に終わります。

明智光秀は本能寺の変から10日余りで亡くなった

戦いの途中で劣勢を悟った明智光秀は本拠地・坂本(大津市)へと脱出を試みるも、伏見の小栗栖(おぐりす)で土民の槍に倒れたといわれます。傷は相当深く、これ以上の逃走は困難と判断し自害したのです。

この場所は現在、「明智藪」と呼ばれており、案内板が立っています。明智光秀が死んだのは6月13日で、本能寺の変から10日余りでこの世を去ったことになります。

本能寺の変をここでは「天正10年」と記載している理由

なお、お気づきかもしれませんが、ここまで「天正10年」で説明しています。当時の暦で本能寺の変が起こったのは6月2日ですが、この年から使われることになったユリウス暦では1582年6月21日となります。さらに、現在使われているグレゴリオ暦では1582年7月1日となります。今回は、歴史ファンになじみのある日付を採用しました。

豊臣秀吉は明智光秀を討ち取って大出世

さて、豊臣秀吉です。山崎の合戦から10日後、秀吉は光秀の首塚を築き、主君の仇討ちを果たしたことを世に知らしめました。その後、豊臣秀吉はのし上がり、1585年に関白、翌年には太政大臣に就任。豊臣秀吉として名実ともに天下人となります。

京都にひっそり眠る豊臣秀吉

織田信長に仕えた足軽の息子だった豊臣秀吉は、最後に病魔に襲われます。そして1598年8月18日に伏見城で死にました。死因は脳梅毒や大腸ガン、疫痢(えきり)などさまざまな説があります。

秀吉はこの年3月に念願だった醍醐の花見を盛大に開催しましたが、5月ごろからみるみる衰弱していったといわれます。

葬られたのは東山・阿弥陀ヶ峰(あみだみね)山頂にある豊国廟(ほうこくびょう)。天下人の墓所としては、あまりにもひっそりとしています。

明智光秀と豊臣秀吉の最期の地

明智光秀と豊臣秀吉の最期の地
国土地理院標準地図を元に作成

伏見のまちは傾斜地にあり、下方は湿地帯。城下町は傾斜地に形成されました。秀吉が死んだ伏見城と光秀が死んだ小栗栖の明智藪は、約2.5㎞しか離れていません。

なお、伏見城は初め桃山駅の南に築かれました(指月伏見城)が、わずか2年で地震により倒壊しました。

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・失われた巨椋池/天橋立はなぜあのような地形になったのか
・舞鶴が重要港湾となった地形的な秘密
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