更新日: 2024年1月22日
応仁の乱で京都は焼け野原に!戦場となったのは一部だけ?
「京の町一面を焼け野原にした」と言われる応仁の乱ですが、市内で戦場となったエリアはそれほど広くありませんでした。
どこで何が起こっていたのでしょうか。
目次
応仁の乱とは
教科書的に言うと、「応仁(おうにん)・文明(ぶんめい)の乱」は1467年から1477年まで続いた、管領・細川勝元(ほそかわかつもと)率いる東軍と、山名宗全(やまなそうぜん)率いる西軍が京都を舞台に戦った内乱です。
最終的に、北陸や東海、西日本全域にまで広がる戦乱の前哨戦の集まりでした。これにより室町幕府の権威は失墜し、以後、日本は100年以上も続く戦国時代へと突入します。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!