更新日: 2024年1月22日
秦氏と嵐山・太秦・伏見との関係~古代京都を支えた渡来人~
高い技術で古代京都の農地開発に貢献した豪族・秦氏。
絹生産や大々的な治水事業で隆盛を誇った一族の足跡は、今もそこかしこで見ることができます。
秦氏の本拠地「太秦」
古代の京都にまつわる歴史や伝承で、随所にその名が出てくるのが渡来系の秦(はた)氏です。5世紀ごろに新羅(しらぎ)から日本に渡ってきたとされ、建築や機織り、酒造など大陸由来の優れた技術を有していたといわれます。秦氏は近畿一帯に地盤を築き、本拠地としたのは現在の右京区太秦(うずまさ)のあたりでした。
秦氏はこの地で養蚕業の技術を広めたとされ、『日本書紀』には、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の時代に族長の秦酒公(はたのさけのきみ)が大量の絹織物を朝廷に献上したことが記されています。その際、絹を「うず高く積み上げた」ことから「禹豆麻佐(うずまさ)」の姓が与えられました。やがて彼らが本拠とする一帯もうずまさと呼ばれるようになり、のちに「太秦」の字が当てられたといわれます。
京都の太秦は養蚕業発祥の地といわれる
なお、諸説ありますが、太秦は日本の養蚕発祥の地ともいわれ、この地に鎮座する木嶋神社(木嶋坐天照御魂神社:このしまにますあまてるみたまじんじゃ)には、本殿のとなりにカイコの神を祀る蚕養(こかい)神社が設けられています。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!