更新日: 2024年1月13日
埼玉県の誕生では県庁所在地で大揉めに!諸藩県分立する埼玉統合
「埼玉県」が成立するまでは紆余曲折がありました。
現在の埼玉県域が確定するまでの混乱のなか、地域間での軋轢も生じていくのでした。
【埼玉県誕生までの歴史】明治維新ごろの埼玉県域
明治維新を迎えた時点で、埼玉県域には3藩(忍藩・岩槻藩・川越藩)と旧幕府の領地(直轄領や旗本領)が存在しました。このうち旧幕府領には、地方長官である武蔵知県事(むさしちけんじ)が派遣され、明治新政府の「府藩県三治制」によって、その管轄内に大宮県、品川県、小菅県(こすげけん)が成立しました。また、他の管轄地域には岩鼻県(いわはなけん)(岩鼻代官所)、韮山県(にらやまけん)(韮山代官所)、葛飾県(かつしかけん)(下総(しもうさ)知県事)が成立したのです。
1869年「版籍奉還」時にあった埼玉県域の県や藩
1869(明治2)年6月の版籍奉還時にはまだ江戸時代の藩領がそのままになっていました。 他方で、旧幕府の領地(直轄領や旗本領)は取り上げられ県が設置されました。 県名を挙げると、秩父郡を中心とした岩鼻県、入間郡と高麗郡を中心とした韮山県、知県事の管轄地だった大宮・品川・小菅・葛飾の各県。現在の埼玉県が成立するのは7年後です。
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