トップ > カルチャー >  関東 > 埼玉県 >

川越の「小江戸」としての歴史~新河岸川や街並みの整備で発展

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

川越の「小江戸」としての歴史~新河岸川や街並みの整備で発展

1638(寛永15)年に大火に見舞われた川越は、その後の復興事業が成功し小江戸と呼ばれるまでに発展します。
そこには藩主・松平信綱の功績がありました。

【川越の小江戸としての歴史】大火で焼失した川越城下を再興した松平信綱

1638(寛永15)年、川越は大火に見舞われました。川越城は全焼し、城下町の約3割が焼失したと伝えられています。

こうした状況下で1639(寛永16)年、川越藩主に命じられたのが松平信綱(まつだいらのぶつな)(伊豆守(いずのかみ))です。信綱は「知恵伊豆」(「知恵出づ」のもじり)の異名をとるほど才知に富んでおり、幕政では「六人衆」の一角として頭角を現し、1633(寛永10)年には老中に任じられていました。1637(寛永14)年に起きた島原の乱でも一揆鎮圧に活躍し、その功績で加増され、忍藩から川越藩に入封してきたのですが、信綱にとって喫緊の課題は川越の災害復興事業でした。

信綱は焼け落ちた城下を区画整理し、今日の街並みの基礎となる「十カ町四門前町(じっかちょうしもんぜんまち)」を整備しました。さらに、川越城の一大改修(5郭・3櫓(やぐら)・8門を新設)にも着手し、焼失以前の2倍の規模に拡張しました。

1 2

記事をシェア

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  関東 > 埼玉県 >

この記事に関連するタグ