更新日: 2024年1月13日
中山道の整備と埼玉県域の宿場町の街並みと特色
表の東海道に対し、中山道は裏の主要幹線といったところでしょうか。
浮世絵『木曽街道六十九次』に垣間見える、埼玉県域の9宿場を見ていきましょう。
目次
中山道・日光街道をはじめとする五街道は江戸の発展を支えた
1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、翌年、江戸を起点とする五街道の整備に取りかかりました。五街道とは東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道を指します。
関東を政治基盤とする幕府にとって、街道の諸宿に伝馬朱印状(でんましゅいんじょう)や伝馬定書(でんまさだめがき)を与えて宿駅(宿・宿場)を定め、江戸と全国を結ぶ街道を整備することは、人や物資の流れを管理・掌握するためにも重要課題のひとつだったのです。
宿駅と伝馬とは
宿駅とは、旅人を宿屋に泊めたり、休ませたりする街道の拠点です。江戸時代には、隣の宿場から運ばれてきた荷物や書状は、宿駅で人馬を交代して次の宿場へ運ぶよう義務づけられていました。乗り継ぐ馬を伝馬、この制度を宿駅伝馬制(しゅくえきてんませい)といいました。
また、宿場には参勤交代の大名や公家、幕府の役人などが宿泊する本陣や脇本陣、一般の旅人が泊まる旅籠(はたご)、伝馬や飛脚による公用の荷物を継ぎ立てる問屋場などが置かれました。
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