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江戸時代の埼玉県域の発展と利根川東遷事業

大規模な地域整備の代表例が利根川東遷(とねがわとうせん)事業です。小室郷(北足立郡)に陣屋を構えた伊奈(いな)氏は、利根川や荒川の瀬替え工事や農業用水の開削工事などを行い、現在のような利根川水系が形づくられました。改修された河川を用いた舟運が活発になると江戸との交易が盛んになり、埼玉県域は、一大消費地の江戸に商品を供給するための重要な農業地帯としての性格を強めていきました。

そうしたなかで多種多様な農産品を生産するようになり、茶や生糸といった、近現代の埼玉県を代表するような特産品が生まれていったのです。

江戸時代に繁栄した埼玉県域の中山道と日光街道

また、幕府は街道整備の一環として、日本橋を起点とする五街道を設けました。このうち埼玉県域に関係するのは中山道と日光街道です。

中山道は県中央部(蕨、浦和、大宮、上尾、桶川、鴻巣、熊谷、深谷、本庄)を通過し、日光街道は県北東部(草加、越谷、粕壁、杉戸、幸手、栗橋)を通過しました。

また、日光街道は埼玉県域を抜けたあと、宇都宮(栃木県)以北は奥州街道となります。両街道の宿場町は人の往来で賑わいを見せました。

江戸時代の埼玉は一揆や打ちこわしで混乱

ただし、街道沿いの村々には助郷(すけごう)(宿場の保全、人足や馬の補充など)と呼ばれる夫役が課せられ、次第に近隣住民の生活を圧迫していきます。やがて鬱積した人々の不満は一揆へと発展し、1764(明和元)年には総勢約20万人が参加したといわれる「中山道伝馬騒動(なかせんどうてんまそうどう)」が勃発しました。

幕末に諸外国との交易が始まると、埼玉県域からの生糸や茶の輸出が盛んになります。これによって物価が急上昇し、格差が拡大して農村は困窮しました。

1866(慶応2)年には、武蔵国の秩父郡、高麗郡(こまぐん)、多摩郡の農民が蜂起し、10万人以上が参加した大規模な打ちこわし(武州世直し一揆)が発生。県域は社会不安を抱えたまま、明治維新を迎えることになります。

江戸時代の埼玉は一揆や打ちこわしで混乱

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