更新日: 2024年1月13日
江戸時代の埼玉県域は農業用水や街道整備などで急速に発展!
江戸に大都市が誕生したことから、埼玉県域は江戸の衛星都市として発展することになります。
そのなかで地域性が育まれていくのでした。
目次
江戸時代の埼玉県域は幕府の要所となった
江戸時代の北武蔵は、江戸の後背地として、江戸を支える役割を担うことになりました。
埼玉県域には川越藩(川越市)、忍藩(行田市)、岩槻藩(さいたま市岩槻区)、岡部藩(深谷市)の4藩が成立。これらの藩の石高は、最盛期の忍藩でも10万石と大藩ではないものの、幕政を担う上級官僚(老中など)が藩政を任されることが多くありました。
江戸幕府の強い影響を受ける埼玉県域
埼玉県域にはこれらの藩領以外にも幕府直轄地である天領や旗本領が存在し、藩領、天領、旗本領で県域をほぼ3等分していました。
幕府の意向を色濃く反映する統治体制となった結果、埼玉県域では大規模な地域整備が行われるようになります。
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