忍城を築城したとされる成田氏とは
もともと成田氏は武蔵七党を祖にもつとされ、鎌倉時代には幕府の御家人になりました。鎌倉幕府の滅亡後は成田氏も没落しますが、やがて山内上杉氏の家臣として復権を果たし、上杉謙信に与(くみ)したり、相模の後北条氏に従ったりと、時世を見ながら巧妙に立ち回っていました。
そして、1590(天正18)年、後北条氏の家臣として、豊臣秀吉の「小田原征伐」を迎えることになります。
忍城は豊臣秀吉と後北条氏との戦いで攻め込まれた
秀吉は、後北条氏の拠点である小田原城(神奈川県小田原市)を包囲すると同時に、さらに関東の後北条方に与する諸城に対しても包囲戦を展開しました。圧倒的な戦力があればこその作戦であり、このとき忍城包囲の指揮を執ったのが石田三成でした。
忍城の兵員は、近隣の住民を合わせても3千程度であったのに対し、三成率いる包囲軍は2〜5万ともいわれています。
丸墓山(まるはかやま)(丸墓山古墳)の頂上から忍城周辺の地形を確認した三成は水攻めを企図し、まず総延長が28㎞にもおよぶ長大な堤防(石田堤(いしだつつみ))を完成させました。工事に要した期間はわずか1週間だったといわれています。次に、利根川と荒川の水を引き入れ、堤防に囲まれた忍城を水没させようとしました。このときの忍城は、まるで水面に浮いているかのようであったため、「浮き城」と呼ばれるようになりました。
忍城の無血開城
ところが、かねてからの豪雨で堤防が決壊し、かえって豊臣軍のほうに甚大な被害が出てしまいました。結局、三成が手をこまねいているあいだに後北条氏が秀吉に降伏し、忍城は陥落することなく無血開城することになりました。
この忍城の戦いは和田竜の小説『のぼうの城』(2012年に映画化)の題材にもなっており、今日でも多くの人の知るところでしょう。
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忍城はおよそ400年にわたって存続した
小田原征伐後、徳川家康が関東に入府すると、忍城は徳川氏の支配を受けます。江戸幕府が開かれて以降、忍城は忍藩の藩庁として、あるいは譜代大名の居城として利用されながら幕末を迎えます。
1871(明治4)年に廃藩置県と同時に廃城となるまで、およそ400年も存続したのは、まさに「関東の七名城」に数えるにふさわしい来歴といえます。
現在、行田市の忍城址公園には、かつてこの地に存在した忍城の御三階櫓(ごさんかいやぐら)が復元されています。
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