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忍城とはどんな城だった?~大軍を率いた石田三成が攻め落とすことができなかった堅城

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

忍城とはどんな城だった?~大軍を率いた石田三成が攻め落とすことができなかった堅城

石田三成は大軍を率いて忍城を包囲しながら、ついに攻め落とすことができませんでした。
忍城とは、いったいどのような城だったのでしょうか。

「忍城」自然地形に守られた要塞

「忍城」自然地形に守られた要塞
許可を経て撮影しています 行田市郷土博物館に展示されている忍城周辺のジオラマ。忍城は北に利根川、南に荒川が流れる扇状地に立地。沼地や自然堤防を巧みに利用している。浮き城や亀城とも呼ばれた

忍城(おしじょう)(行田市)は、室町時代中期に成田氏によって築城されたと伝えられています。城は南北を荒川と利根川とに挟まれ、周囲には広大な湿地帯が広がっていました。

成田氏はこの湿地帯を、あえて埋め立てようとはしませんでした。陸地同士に橋を渡し、沼を堀のように生かしたのです。いわば自然堤防に守られた要害であり、まさに「攻めるに難く、守るに易い」堅城で、関東七名城のひとつに数えられました。

行田市郷土博物館

住所
埼玉県行田市本丸17-23
交通
秩父鉄道行田市駅から徒歩15分
料金
大人200円、高・大学生100円、小・中学生50円(20名以上の団体は2割引、要支援・要介護認定者は介護保険被保険者証持参、障がい者手帳持参で本人と介護者1名無料)
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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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