更新日: 2024年1月13日
難攻不落の鉢形城を陥落させた太田道灌と長尾景春の戦い
難攻不落と謳われる鉢形城は、たびたび争乱の場となりました。
そのなか、築城した長尾景春と陥落させた太田道灌による争いの背景を探ってみましょう。
「鉢形城」は難攻不落の名城
鉢形城(はちがたじょう)(大里郡寄居町)は、1476(文明8)年に長尾景春(ながおかげはる)が築城したと伝えられています。
荒川とその支流の深沢川の合流する付近、約100mの断崖の上という立地は、まさに「難攻不落」と呼ぶにふさわしい天険の要害です。また、秩父から雁坂峠(かりさかとうげ)を越えれば甲府に至り、鎌倉街道の上道(かみつみち)から上野(こうずけのくに)国を経由すれば越後国(えちごのくに)や信濃国(しなののくに)へと向かうこともできます。
このように鉢形城は、今にいう北関東と南関東、北越、甲信地方を結ぶ交通の要衝でもありました。きわめて重要度の高い場所であり、軍事的手腕に長けた景春がこの地に城を築いたのは正鵠(せいこく)を射た判断といえるでしょう。
鉢形城の概略図
鉢形城跡では現在も本曲輪や二の曲輪のほか、馬出や空堀、土塁などが確認できます。地形図を見てのとおり、城の北側は荒川の断崖、南〜東側は深沢川によって深い谷が刻まれています。
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