更新日: 2024年1月13日
武蔵七党・秩父氏ら武蔵武士が源頼朝が開いた鎌倉幕府で活躍
平安時代から鎌倉時代にかけて、関東には武蔵武士と呼ばれる武士集団が割拠しました。
彼らこそは、源頼朝の平家討伐を支える重要な存在でした。
目次
武蔵武士の前身となった秩父氏のルーツ
皇位を継承しない皇族に姓を与えて臣下の籍にすることを臣籍降下(しんせきこうか)(皇親賜姓(こうしんしせい))といいます。
とくに、平安京へ遷都した桓武天皇(在位781〜806年)の頃から盛んに行われるようになり、898(昌泰元)年、桓武天皇の孫(曾孫とも)の高望王(たかもちおう)は「平」姓を賜って上総(かずさ)(千葉県)へと赴任しました。
この平高望(たいらのたかもち)を祖とする氏族集団が関東の各地に土着し、武士集団を形成しました。これが桓武平氏(かんむへいし)です。
桓武平氏の流れをくむ坂東八平氏
やがて、桓武平氏からは有力な士族が誕生します。なかでも有力な千葉氏、上総氏、秩父氏などは坂東八平氏(ばんどうはちへいし)と呼ばれました。
坂東八平氏のうち、現在の埼玉県域に関連するのは秩父氏です。平高望の曾孫・将恒(まさつね)は武蔵国秩父郡中村郷(秩父市)を拠点として秩父氏を称し、やがて秩父氏は秩父氏館(ちちぶしやかた)(秩父市吉田町)に居館を構えるようになります。
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