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門司港の歴史②:門司港ブーム

一方、築港後の町には次々と商社が集まり、明治32(1899)年には市政が敷かれ時代はまさに門司港ブーム。1か月に100所帯もの人が流入し、山側には住宅地が作られ、鎮西橋周辺にはデパートや呉服屋が次々と建てられました。現在、みずほ銀行や福岡銀行が並ぶ国道3号は、ワインやハムを販売するショップやフルーツパーラーなどハイカラな店が軒を連ね、「一丁ロンドン」と呼ばれていました。『海賊と呼ばれた男』で知られる出光佐三が、門司の沖で石油を売買していたのもこの頃の話です。こうして門司港は「珈琲香る町」という愛称で急速な発展を遂げたのです。

門司港の歴史③:戦火による焼失と衰退

時代は進み、昭和20(1945)年。第二次世界大戦によって門司の町はほとんど焼失し、関門海峡に落とされた磁気機雷(艦艇の磁気に反応して爆発する水中兵器)の影響で海は貿易機能を果たせなくなってしまいました。さらに追い打ちをかけるように、昭和38(1963)年、北九州全域の景気活性化のため、5市が合併されると市政の中心は小倉となり、雪崩を打つように商社、新聞社、日銀が離れ去り、門司の町は再び寂れていきました。

門司港の歴史④:観光地として息を吹き返す

しかし、門司港は最終兵站(へいたん)基地という性格上、軍部は意図的に港湾荷役を捕虜にしたため爆撃を免れ、港を囲んだ建物が奇跡的に残りました。それが現在の門司港レトロの始まりです。平成2(1990)年にJR九州が隠れた観光地を探す企画で門司港を紹介しました。翌年にはボランティアガイドの育成がスタート、歴史的建造物を修復し、町を整備していきました。こうして平成7(1995)年に門司港レトロ地区が誕生しました。平成31年3月に保存修理が完了したネオ・ルネッサンス様式の門司港駅をはじめ、大正ロマンを感じさせる旧門司三井倶楽部、戦争の爪痕が残る九州鉄道記念館(弾痕)、旧門司税関(焼ゴケ)など、一見するとレトロな建物が集まった観光地ですが、残った建物が見てきた門司港の歴史は美しく華やかなものだけではなく、深いストーリーも刻まれているのです。

上の地図と比較すると、港の形も変わり川がなくなっていることがわかります。現在は、門司港駅を中心にレトロな建造物が点在しています。

門司港レトロ地区

住所
福岡県北九州市門司区港町
交通
JR鹿児島本線門司港駅からすぐ
料金
情報なし

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