更新日: 2024年1月22日
門司港の歴史~なぜレトロな建物が点在しているのか?~
レンガ造りの洋館が点在する門司港レトロ地区。これらの建造物がなぜ門司港に建てられたのか?観光地化される前の門司はどんな町だったのでしょうか?
門司港の歴史①:塩田を埋め立てて港へ
明治初頭の門司は、塩田と漁業を生業とする人々が暮らす、何の変哲もない小さな町でした。ひなびたこの町が脚光を浴び始めるのは明治20年頃のことです。地元の医師・宗教家であった佐野経彦が政府に港の建設を提案し、一度は却下されるも、渋沢栄一、浅野総一郎、安田善次郎、大倉喜八郎ら中央財閥の錚々(そうそう)たる顔ぶれが主要株主となり、築港が認められました。対岸の下関、近隣の田ノ浦など貿易で栄えた港はあったのですが、港を改築するより塩田を埋め立てる方が効率良く、商社を呼ぶ環境を整えやすかったのです。
港が開かれると、当然、輸出入を管理する税関が必要になるのですが、この設置に奔走したのが朝ドラのヒロインにもなった女性実業家の広岡浅子です。明治18(1885)年、現在の旧門司税関の前身となる長崎税関の支署が設置されました。その後、交通網が整うと輸出にも便利な都市であることが認められ、明治42(1909)年、石炭、硫黄、米、麦、メリケン粉を輸出できる特別輸出港となり、初代門司税関は明治28(1895)年に建設され、(のちに焼失)。明治45(1912)年にはレンガ造りで再建されました。
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