福岡の4つの藩③:久留米藩と柳河藩
筑後藩は慶長5(1600)年、徳川家康より筑後一国約32万石を与えられた田中吉政によって成立しました。翌年に入国した吉政は柳河城を築くも、家臣との対立や財政難、嗣子がいなかったことなどからわずか二代で失脚、その後の筑後は2つに分裂し、北側21万石の久留米藩を有馬氏が、南側11万石の柳河藩を立花氏が治めました。
江戸時代の藩領・幕府領・宿駅
福岡藩は現在の北九州市若松区あたりまで治めていたことがわかります。秋月藩は福岡藩の支藩ではあったのですが、幕府から直接朱印状を交付される独立支藩であり、独自性を保っていました。小笠原氏は小倉藩のほか、中津城があった中津藩も治めていました。
福岡の4つの藩は参勤交代制度を経て発展
江戸時代に中央集権政治を維持するのに必要だった参勤交代制度のおかげで、経済の発展と交通の発達が生まれました。福岡県では小倉を起点として鹿児島に至る街道や、長崎から海外の輸入品が運ばれてくる長崎街道などを中心に6つの街道が整備され、九州の諸大名らが往来する街道沿いにはいくつもの宿場が作られました。とくに筑前で栄えた黒崎・木屋瀬(こやのせ)・飯塚・内野・山家(やまえ)・原田の6つを筑前六宿と呼びました。
福岡の4つの藩の発展:産業と人々の暮らし
江戸時代の産業と人々の暮らしを見てみると、福岡藩、小倉藩では積極的に開墾が行われ新しい村が次々と誕生していきました。農業技術も飛躍的に発展し、農機具、害虫駆除などが発明され、沿岸部では塩田の開発も行われました。久留米、柳河藩は筑後川周辺の治水工事に力を入れ、川沿いの地域でも人々が暮らしていけるよう堤防やクリークの建設を進めました。また、国内産糸を使った博多織、久留米絣が生まれたのもこの時代です。
福岡の4つの藩の発展:学問
学問の世界では、福岡藩貝原寛斎(かんさい)の末男として誕生した貝原益軒が、21歳のとき長崎に出て医学を学び、藩医として黒田忠之に仕え、やがて藩の儒学者として勤めるようになります。朱子学にも従事し、『筑前国続風土記』の編纂にも携わっています。
のちに設置される福岡藩校修猷館には貝原益軒の学統をひく武田定良が教授に任命されています。18世紀後半には小倉藩、久留米藩、柳河藩にも藩校が設けられ、若者たちは学問に勤しみました。
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