更新日: 2024年1月22日
蒙古襲来~700年以上前に作られた元寇防塁が物語る当時の様子とは~
誰しもが一度は聞いたことがあるであろう、「蒙古襲来」。元の襲来に備え築かれた「防塁」はどのように作られたのでしょうか。
蒙古襲来という歴史的大事件
今から約750年前、日本はそれまで経験したことのない国難に襲われました。おそらく多くが一度は耳にしたことのある「蒙古襲来」という歴史的な大事件です。当時の日本は初の武家政権である鎌倉時代、そして襲来した「蒙古」とはアジアの大国であるモンゴル帝国(当時の国名は「元」)です。1260年代の終わり(文永年間)から元は、幕府に再三使者を送り、通交を求めてきましたが、幕府はこれに応じず両国の緊張感は高まっていきました。
蒙古襲来~文永の役~(1274年)
時は文永11(1274)年秋、ついに元と高麗の大軍が軍船約900艘で、対馬や壱岐を攻略し、さらに大宰府占領のため博多湾の中央部付近から上陸しました。元軍は上陸地点近くに陣を構え、博多湾岸の各所で戦闘を繰り広げますが、結局決着はつかないまま数日のうちに元軍は博多湾を去りました。短期間とはいえ、鎌倉武士は元軍の集団戦法や毒矢、「てつはう」と呼ばれる炸裂弾に苦戦を強いられたようです。なお、この戦を歴史上「文永の役」といいます。
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