

更新日: 2024年1月22日
博多津唐房~日本初の幻のチャイナタウン~
長崎や横浜、神戸にある中華街。その前身ともいえるチャイナタウンが、かつて福岡の中心地にあったといいます。幻の博多中華街とはどんなものだったのでしょうか?
博多津唐房ができた経緯
飛鳥~平安時代、大宰府管理下の客館として日本の外交・貿易を担った鴻臚館(こうろかん)(現中央区城内)は、平安後期の11世紀中ごろに廃絶しました。かわって那珂川(なかがわ)を東に越えた博多遺跡群からは、11世紀後半以降の白磁や青磁などの貿易陶磁器が大量に出土し、貿易拠点が博多に移っていたことがわかります。
貿易船は、博多湾内に停泊し、船員たちはハシケのような小船で、那珂川と比恵川(ひえがわ)(御笠川(みかさがわ))河口の入江から「博多浜(はかたはま)」(砂丘)の石積み護岸の港に着岸し、物資の荷揚げ、積出しを行っていたものと思われます。同時に、「博多浜」には「綱首(こうしゅ)」、すなわち中国貿易船団の長で商人でもある中国海商を中心に、多くの中国人が住むようになっていました。
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