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海石榴市は日本最古の市が開かれた交通の要所!男女の出会いの場でもあった 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

海石榴市は日本最古の市が開かれた交通の要所!男女の出会いの場でもあった

山の辺の道と初瀬川が交わる地には、水陸交通の要衝地として栄えた交易場がありました。
隋からの使者を盛大にもてなし、歌垣で男女が集うにぎやかな社交場でした。

海石榴市と呼ばれる日本最古の市場はどんな場所で開かれていた?

奈良盆地東南部、三輪山(みわやま)の山裾づたいに山の辺の道と呼ばれる日本最古の小径(こみち)があります。『古事記』や『日本書紀』に「山辺道」として名前が記され、その起源はヤマト王権が誕生したとされる4世紀初頭頃にさかのぼります。

桜井市金屋(かなや)から天理市を経由し奈良市歌姫町まで南北に通じ、直線距離にして約23kmに及びますが、当時の正確なルートは分かっていません。

「山の辺の道」ができた工程

山の辺の道は三輪山のふもとの集落や田畑、木立の間を縫うように曲がりくねりながら延びています。なぜまっすぐ通っていないのでしょうか。

大神神社(おおみわじんじゃ)、檜原神社(ひばらじんじゃ)から崇神天皇陵(すじんてんのうりょう)までの一帯はヤマト王権の中心部で、山の辺の道はその主要幹線道路となっていたと想像できますが、計画的に造られた道ではなかったからです。当時の人たちが、奈良盆地に点在していた沼や湿地を避けながら集落と集落を往来するなかで、地形に沿って自然にできあがった道だったのです。

海石榴市が開かれていた山の辺の道の起点は交通の要所だった

山の辺の道の南の起点となる金屋の里は三輪山と初瀬川とに囲まれた場所で、大阪から大和川をさかのぼる川船の終着地にあたります。さらに、当時の幹線道路である上ツ道、磐余(いわれ)の道、初瀬街道、竹内街道など複数の道がこの地で合流し、まさに古代の水陸交通の要衝地となっていました。

ここには日本最古の市場海石榴市(つばいち)が開かれ、今も金屋の東端に祭られる石造の観音「海石榴市観音」にその名が残されています。

現在の海石榴市の周辺図

現在の海石榴市の周辺図

山の辺の道は奈良盆地東南部を南北に延びる曲がりくねった自然の小径。野辺の花咲くのどかな道すがらに古墳が点在し、古代に思いをはせる散歩が楽しめます。

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