トップ > カルチャー >  九州・沖縄 > 福岡県 >

鴻臚館は福岡のどこにあったの? ヒントは万葉集!

鴻臚館は7世紀後半から11世紀前半までの約400年間、対外交渉の窓口として重要な役割を果たしました。
江戸時代には、現在の博多区中呉服町付近の管内町に鴻臚館があったと考えられていましたが、大正末頃に中山平次郎博士(九州帝国大学医学部教授)は遺新羅使が筑紫館で詠んだ万葉集の「今よりは秋づきぬらしあしひきの山松かげにひぐらし鳴きぬ」や、ほかの歌に出てくる「志賀の海人」や、「志賀の浦」の言葉をヒントに志賀島が眺望できて「山松かげの蝉声」が聞こえる条件を満たすのは福岡城(現在の舞鶴公園)以外にないと考え、古代の瓦や中国陶磁器を福岡城内で採集し、福岡城内説を唱えました。そして、昭和62(1987)年、平和台野球場外野席の改修に伴う発掘調査で鴻臚館の遺構が発見され、中山説が裏付けられました。

福岡の鴻臚館の遺構から見えてくる当時の様子

鴻臚館は博多湾に突き出した標高9m前後の丘陵上に築かれました。小さな谷を南北に挟む尾根を造成して南館と北館の2つを造り、谷は堀として残しました。
飛鳥時代(7世紀後半)、まず掘建柱建物群(ほったてばしらたてものぐん)が造られますが、南館と北館では建物の方角がずれていました。奈良時代(8世紀前半)になると、堀の斜面に高さ4m以上の石垣が築かれ、門と塀で囲まれた施設が南北同じ規格で造られます。塀の外側には、それぞれ便所が設けられていて、そこからは卜イレツトペーパー代わりに用いた木片が多く出土しています。中には各地から送られた物資に付いていた荷札(木簡)を転用したものもあります。その後(9世紀)は、展示館内に復元したような礎石を用いた建物に建て替えられます。

福岡の鴻臚館の出土品から見えてくるアジアとの交流

鴻臚館からは国際色豊かな出土品が多量に見つかっています。現在の中国の河北省、浙江(せっこう)省、湖南省などで生産された大量の陶磁器や、朝鮮の新羅・高麗産の陶器、さらには西アジアのイスラム系陶器やペルシャ系ガラス器などの出土品は、交易拠点としての鴻臚館の性格を表しており、「アジアの交流拠点都市福岡の原点」がここにあると実感できます。

鴻臚館跡展示館

住所
福岡県福岡市中央区城内1-1
交通
地下鉄赤坂駅から徒歩7分
料金
無料

『福岡のトリセツ』好評発売中!

福岡県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。福岡県の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報を満載!

●収録エリア
福岡県全域

【注目1】地図で読み解く福岡の大地

「筑紫次郎」と呼ばれた暴れ川・筑後川の流域に豊かな暮らしと利水事業をもたらした四大堰とは?、約3000万年前の古第三紀漸新世の海成層「芦屋層群」の成り立ち、福岡唯一のカルスト台地「平尾台」の最深部に迫るなど、福岡のダイナミックな自然のポイントを解説。

【注目2】福岡を走る充実の交通網

全国で唯一本州を起点としない電車&バス「西鉄」はどうやって誕生したか?、水陸兼用で日本初の国際空港だった雁ノ巣飛行場、福岡を走る在来線の一部は石炭を運ぶために作られた!?、平成筑豊鉄道のユニークな駅名のお話…などなど、意外と知られていない福岡の交通トリビアを厳選してご紹介。

【注目3】福岡で動いた歴史の瞬間

日本最古の稲作遺跡「板付遺跡」、金印が出土した「志賀島」、世界遺産に登録され神宿る島として一躍有名になった「宗像・沖ノ島」、女王卑弥呼が君臨した邪馬台国かもしれない「伊都国」、新元号・令和の典拠となった万葉集が詠まれた「太宰府」など、福岡は歴史ファンにはたまらないロマンの地。福岡の歴史は知れば知るほど面白い。

『福岡のトリセツ』好評発売中!

リンク先での売上の一部が当サイトに還元される場合があります。
1 2

記事をシェア

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!