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「漢委奴国王印」の金印は邪馬台国にも負けないほどナゾだらけ

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

「漢委奴国王印」の金印は邪馬台国にも負けないほどナゾだらけ

金色に輝く小さな印綬。国宝に指定されるこの「金印」は、なぜ志賀島で発見されたのか、誰が何のために誰に贈ったものなのか…未だ多くが謎に包まれています。

「漢委奴国王印」の金印が発見された経緯

教科書でおなじみの国宝・金印「漢委奴国王」が志賀島(福岡市東区)で発見されたのは江戸時代の天明4(1784)年2月23日(現代の暦では4月頃)。
農作業中に偶然発見されて役所に届けられたものでしたが、福岡藩の儒学者・亀井南冥(かめいなんめい)が中国の歴史書『後漢書(ごかんじょ)』に記された印綬(いんじゅ)であることをいち早く論じ、福岡藩主・黒田家の宝として保護されました。明治5(1872)年には日本初の博覧会とされる湯島聖堂博覧会(東京)にも出品されています。

黒田家から福岡市に寄贈されたのは昭和53(1978)年で、福岡市美術館の建設などが契機となりました。平成2(1990)年には福岡市博物館が開館し、金印も博物館に移管されて常設展示されるようになり、現在に至っています。近年では東京国立博物館や京都国立博物館で開催された国宝展に出品し、数多く展示された国宝の中でも注目の逸品となりました。

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