博多湾の歴史と成り立ち
博多湾については、元寇(鎌倉時代中期)の頃の絵図がいくつか現存しており、都市開発時のボーリング地質調査結果による塩分の存在などの資料と照らし合わせると、12世紀頃の博多湾は今よりもずっと広く、多くの入江を港として使っていたと思われます。
現在の形に近づき始めたのは、太閤秀吉が博多の町割を手掛け、博多湾の一部に埋め立て商人の町を作った安土桃山時代後期からでしょう。江戸時代に入ると草ヶ江の入江を城の堀(大濠)として利用し、堀をめぐらせ福岡城を築きました。沿岸部の水深は深くはありませんでしたが、江戸時代までの船は帆船であっても水深が3mもあれば係留することができたため、沿岸部は商人の町として栄えていきました。
博多湾の対岸の海の中道
一方、博多港の対岸に見える海の中道は、海流が運んだ砂が堆積し半島のように長く延びた砂嘴(さし)で、京都にある天橋立よりも大規模です。江戸時代初期には、和白浜と雁ノ巣の浜(がんのすのはま)をつなぎ塩田の開発を行い、現在の湾奥、和白干潟(わじろひがた)の原型が誕生しました。
博多湾の歴史を海岸線で見る
中世の海岸線と現在の海岸線を示した地図。カブトガニが生息する今津周辺はかつての地形とほとんど変わりないことがわかります。現在、呼び名が「〇〇浜」となっている地域のほとんどが埋め立て地です。
博多湾の歴史によって野鳥やカブトガニが訪れるようになった
こうして長い年月をかけ現在の姿となった博多湾ですが、平均水深は10.8mで、とくに湾奥部では5m以下と浅瀬です。しかしこの地形こそ、水鳥たちにとっては絶好の採餌、休息場になっています。
特に和白干潟、今津干潟、室見川河口干潟、多々良河口干潟(たたらかこうひがた)などの干潟には、多くの渡り鳥が餌を求めやってきます。シギ・チドリ類は、遠くシベリア・サハリンから日本を縦断しさらに南方へ向かい、遠くはオーストラリアまで渡る鳥もいます。ガン・ツクシガモなどのカモ類・クロツラヘラサギ・ミヤコドリなどは冬鳥で、大陸の寒さを避け博多湾にやってきます。
冬の黄昏時、那珂川のほとりの屋台に行くと、街灯の明かりが集魚灯になり、川の中でカモ類が魚を追っている様子はなんとも風情があります。
今津干潟には、生きた化石といわれる天然のカブトガニも生息しており、現在は保護活動が続けられています。埋め立てなど都市開発が進む中でも、野鳥や天然記念物の生き物を観察できるのは、水深が浅く豊富な餌がある博多湾ならではの魅力でしょう。
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