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筑紫次郎を治めた筑後川四大堰は豊かな暮らしと利水事業を生み出した

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

筑紫次郎を治めた筑後川四大堰は豊かな暮らしと利水事業を生み出した

度重なる洪水と干ばつに悩まされてきた筑後川流域の住民たち。筑紫次郎と呼ばれる暴れ川を彼らはいかにして治め、生活を守ってきたのでしょうか。

「築紫次郎」の異名をもつ筑後川によって不利益を被った流域住民

九州一の大河である筑後川は、阿蘇外輪山を水源に九州北部を西に流れ有明海に至ります。水源となる阿蘇から夜明(よあけ)ダムまでを上流域、夜明ダムから筑後大堰までを中流域、筑後大堰から有明海河口までを下流域と区分しています。

筑後川は別名「筑紫次郎」と呼ばれ、関東の「坂東太郎」(利根川)、四国の「四国三郎」(吉野川)と並ぶ日本三大暴れ川です。室町時代からの記録によるとおよそ300年の間に160回以上、実に2年に一度以上のペースで氾濫が起こり、流域に住む住人は常に洪水との戦いでした。こう述べると、災害のないときは水が豊かな土地であるように思えますが、筑後川沿いの多くは土地の方が高く畑に水を引くことができず、大豆や粟、稗(ひえ)しか育たないような荒れ地だったのです。

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