更新日: 2024年1月22日
奈良女子大学の歴史~設立の背景には岡倉天心がいた~
日本に2校しかない国立女子大学の1つが奈良女子大学です。
その前身である奈良女子高等師範学校の誕生には、岡倉天心の思想が間接的に影響していました。
奈良女子大学が設立されるまでの学校制度
江戸時代の日本では、各藩が藩校を設立し、庶民教育も寺子屋を中心に普及していました。明治維新後、政府はこれらを母体として近代的な学校制度へ転換しようと試みます。明治5(1872)年には「学制」を発布し、全国に公立小学校が設立されたのです。
教員養成のための師範学校の設立も増える
当時の公立小学校は授業料が有料でしたが、奈良県は明治7(1874)年の就学率が52.7%(全国平均32.3%)、明治8(1875)年が同57.5%(全国平均35.3%)で、全国でもトップクラスでした。学校の新設によって教員の増員も必要になり、全国に教員養成のための師範学校も設立されていきました。奈良では明治7(1874)年に寧楽書院(のちの奈良師範学校)などが作られ、教員養成を担いました。
全国に女子高等師範学校が開校し始める
明治も中期になると、社会の発展とともに、中等教育を受けることを望む人々が増えてきました。そこで、明治19(1886)年、中等学校教員の養成を行う高等師範学校が東京に設立されます。そしてそこから独立する形で、明治23(1890)年、女子高等師範学校も開校しました。のちのお茶の水女子大学です。
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