奈良ホテルの外観が和風になった理由とは
建設費は鹿鳴館の約2倍の35万円。設計は東京駅などの洋風建築を多く手掛けた辰野金吾と片岡安(かたおかやすし)が担当したにもかかわらず、和風建築の外観となりました。それには次のような訳がありました。
先の奈良国立博物館建設で純洋風の外観は県民から不評だった
ホテル建設の15年前、帝国博物館(現在の奈良国立博物館)が奈良公園内に建設されましたが、「純洋風の外観が古都の景観に合わない」と県民から不評を買いました。そこで県議会は「建物新築に際しては古建築との調和を保持すべし」との決議を下しました。現在の景観条例の先駆けともいえる決議で、奈良ホテルはこれに従い、和洋折衷様式を採用しました。
奈良ホテルの外観と開業当時の宿泊客
外観は御殿風檜造りで、壁は白い漆喰仕上げ。瓦屋根には 鴟尾(しび)を乗せ、周囲の古刹との調和を図りました。内装には桃山風の豪奢な意匠とドイツ風趣向を取り入れました。
開業当時の宿泊客の多くはドイツ・イギリスの王族や貴族、各国大使、軍人、実業家ら。日本人は1割にも満ちませんでしたが、陸軍大将・乃木希典(のぎまれすけ)が宿泊し、庭に記念の松の木を植えました。
奈良ホテルは国営化
創業時の経営は西村仁兵衛が興した大日本ホテルが担いましたが約4年で破綻し、鉄道院が引き継ぎました。国営化した奈良ホテルは宿泊客を、「高等官以上又は資本金一定以上の会社の重役」に限定し、エドワード英国皇太子やアインシュタインなど、そうそうたる人物を迎えました。
奈良ホテルは県民の「古建築との調和保持」の精神が守られている
終戦後の7年間は米軍が接収しました。ホテル北側の欄干風手すりが赤く塗られているのはその名残りです。当時アメリカ人が建物の白木部分すべてにペンキを塗るよう指示しましたが、職員が説得し一部にとどめたといいます。
創業当時の「古建築との調和保持」の精神は守られ続けているのです。
奈良ホテルの宿泊情報をチェックするならこちら
『奈良のトリセツ』好評発売中!
奈良県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。奈良県の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報を満載!
見どころ―目次より抜粋
Part.1 地図、地形で読み解く奈良の大地
・実は人工的に作られた山だった? 古代史の舞台・大和三山
・人々の営みに密接してきた 生駒山がもたらした恩恵とは?
・大和平野を潤す大動脈 吉野川分水は300年越しに完成 ほか
Part.2 奈良を駆ける交通網
・生駒市と東大阪市にまたがる 暗峠の急勾配は法令地オーバー
・営業期間わずか9年間! 大仏鉄道を阻んだ急勾配
・3度の変更の末、駅開業が転がりこんだ!?なぜ、王寺町が鉄道の町になった? ほか
Part.3 奈良で動いた歴史の瞬間
・古墳の密集地帯・奈良盆地 なぜ古墳が造られなくなった?
・大化の改新だけではない! 中大兄皇子が変えた時間の概念
・秀吉が催した5000人規模の大宴会 吉野の花見で笑いをとった伊達政宗 ほか
Part.4 奈良で生まれた産業や文化
・全国で2校の国立女子大学 奈良女子大学設立の背景には岡倉天心
・古くから言い伝えがあった 天川村と手塚治虫作『火の鳥』の関係は?
・実は奈良盆地の気候が肝! 広陵町が靴下生産量日本一の理由 ほか
<コラム>
データで分かる全39市町村 人口、農業・水産業、観光
吉田初三郎が描いた奈良の鳥瞰図
映画・ドラマ・小説…… 奈良県とエンタメ作品
『奈良のトリセツ』を購入するならこちら
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!