更新日: 2024年1月22日
奈良県はかつて大阪府の一部だった!地図上から奈良県が消えた空白期間がある!?
廃藩置県でいったん奈良県となった大和国ですが、府県統合で大阪府に吸収されました。
大和より摂津・河内・和泉を優先する府政に憤った県民は、奈良県再設置運動を起こしました。
目次
奈良県は廃藩置県で設置された
江戸幕府崩壊直後、奈良県の行政上の名称や管轄はめまぐるしく変化しました。
明治新政府は大和にあった幕府直轄地を接収し、慶応4(1868)年1月、奈良に大和鎮台を設置し統治しました。同年5月、奈良県を設置し、十津川郷を除く旧幕府領と寺社領を管轄。同じ幕府直轄地の堺も港湾都市として重要視され堺県となりました。大和の宇智郡、吉野郡はその後奈良県から分離し、河内と紀伊の一部地域を加えた五條県が誕生しました。
明治4(1871)年7月、廃藩置県で、幕府領以外の大和各藩はそれぞれ県を名乗るようになりましたが、同年11月、明治政府による府県統合の結果、大和国内の五條県を含む各県が廃止され、それら全域を所管する奈良県があらためて誕生しました。県庁は興福寺一乗院に設置され、元五條県知事、四条隆平(しじょうたかとし)が県令(現在の知事)に任命されました。
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