更新日: 2024年1月22日
今井町は中世の要塞都市!明智光秀が取りもって発展
一向宗の寺内町として始まった今井町は、武力を備えた環濠要塞都市に発展。
明智光秀の仲介により織田信長に降伏したのちは大和随一の商業都市として栄えました。
目次
今井町は一向宗の寺内町として始まった
橿原市今井町の町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。なかでも長年惣年寄(そうとしより)筆頭を務めた今西家の家屋は、城郭風の「八ツ棟造り」の建物で、町の中核的役割を果たしたことを物語ります。
今井町は天文年間(1532~55年)、石山本願寺の一家衆、今井兵部(いまいひょうぶ)が一向宗布教のために建てた道場(のちの称念寺)を中心に広がった寺内町を始まりとします。
今井町全体図
東西約610m、南北約310mの四方に土居や堀を築いて、外敵の侵入から身を守っていました。
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