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蘭奢待などがある正倉院宝物は厳格な勅封制度で管理される

正倉院宝物は天平勝宝8(756)年、聖武天皇の死後、光明(こうみょう)皇后がその冥福を祈念し600点以上の御遺愛品を東大寺に奉献したことからなります。

かつては東大寺で管理していましたが、明治8(1875)年に内務省の管轄となり、現在は宮内庁が管理します。管理は厳重で、勅許(天皇による許可)なしに宝庫の扉は開封できません。宝庫を開けるときは、勅使が京都より下向して扉を開け、閉ざすときにも勅使が封をするという厳格な勅封制度です。

一般へは毎年秋に奈良国立博物館で開かれる正倉院展にて、十数年に一度展示されます

宝物の保存に適した正倉院

正倉院に1200年以上も前の御物が極めて良好な状態で大量に残されている理由は、勅封制度によりむやみに開封されず保護されてきたことにありますが、倉の構造も大きな要因です。

倉は三角の木を組んだ校倉造(あぜくらづくり)で、湿度対策として風通しの良い小高い場所に檜材を用い高床式で建てられました。床下2.7mの高さは湿気だけでなく虫害防止にも効果がありました。

さらに、宝物は辛櫃(からびつ)と呼ばれる杉で作られた箱に収納されていました。杉は断熱性や調湿機能に優れているため櫃内の湿度をある程度一定に保ち、外光、汚染外気を遮断するため保存に適した材木でした。

宝物の保存に適した正倉院

歴史的価値の高い宝物を収蔵する正倉院正倉。瓦葺きの大規模な高床式の宝物庫で、庫内は3つに区切られています。

正倉院

住所
奈良県奈良市雑司町129
交通
近鉄奈良線近鉄奈良駅から奈良交通青山住宅行きバスで5分、今小路下車、徒歩8分
料金
無料

蘭奢待は織田信長ら天下人に切り取られた

蘭奢待は過去に30か所以上切り取られた形跡があり、足利義政や織田信長、明治天皇が切り取らせたことは有名です。信長の切り取りは朝廷への強圧的態度を示す一端とする説がありますが、残された資料からは違う解釈も見えてきました。

蘭奢待の切り取りに配慮を見せた織田信長のエピソード

信長は天正2(1574)年3月上洛し、叙位を受け、東大寺に蘭奢待の所望を伝えました。通達のわずか4日後、信長は3000人の軍勢と共に大和に下向し東大寺にほど近い多聞山城(たもんやまじょう)に入りました。このとき、大勢の兵士で物々しくならないよう兵士に寄宿を禁止し町の治安悪化防止に配慮を見せたといいます。

信長は急ではありましたが正規の手続きを踏み、東大寺が求める儀式に則り、3月28日に正倉院の扉を開かせました。「専横な振る舞い」と受け取られるのを嫌って自身は正倉院に出向かず、そうそうたる部下たちを特使として差し向け、長櫃(ながびつ)に入った蘭奢待を多聞山城に運び入れさせました。

そして東大寺の僧侶立会いのもと先例にならい蘭奢待から一寸八分(約5.5cm)ほどの香片を2片、東大寺の大仏師に切り取らせたといいます(東大寺側の記録では「一辺約3 cmの正方形を2片」とあります)。

蘭奢待を切り取った織田信長は東大寺と春日大社に敬意を示した

目的を果たした信長でしたが、すぐに大和を引き上げることはせず、その夜は東大寺春日大社に参詣し敬意を示しました。翌日、信長は正倉院の別の香木、紅沈香(こうじんこう)を所望し多聞山城にて拝見しましたが、これに関しては「先例がない」と切り取らなかったようです。

蘭奢待を切り取った織田信長は1片を天皇へ献上、もう1片も部下へ分け与えた

信長は切り取った蘭奢待のうち1片を正親町天皇(おおぎまちてんのう)に献上。天皇は香片をさらに分け公家や毛利輝元(もうりてるもと)に与えたと伝えられています。

もう1片の香片も信長自身が独占して楽しむわけではなく、堺の茶人である津田宗及(つだそうぎゅう)と千利休(せんのりきゅう)、側近の村井貞勝(むらいさだかつ)に分け与えました。村井は関小十郎長安に与えましたが長安は恐れ多いとして尾張一之宮の真清田(ますみだ)神社に奉献しました。

蘭奢待を切り取った織田信長の狙いとは?

信長の蘭奢待切り取りの狙いは、次期将軍としてみずからの力を誇示するためや、皇室の文化的権威を受け継ぐためなど諸説ありますが、これらには再考の余地が残ります。信長は東大寺に一定の敬意を示し、切り取った蘭奢待を天皇に献上したことは、朝廷への圧迫や示威とはいえない動きです。とかく強圧的印象がある信長ですが、この事件から新たな人物像がうかがえるかもしれません。

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<コラム>
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