更新日: 2024年1月22日
松永久秀が築いた多聞山城~織田信長もほれ込んだ日本初の天守閣~
東大寺北、佐保山にあった多聞山城(多聞城)には、日本で最初の天守閣がありました。
豪華絢爛な城は外国人宣教師からも称賛され、近世城郭の先駆けとなりました。
目次
松永久秀は多聞山城を築いた戦国武将
松永久秀(まつながひさひで)といえば、管領(かんれい)の三好長慶(ながよし)の重臣の身から、大和一円を支配するまで昇りつめた戦国武将。長慶没後は三好3人衆と呼ばれた家臣らと将軍・足利義輝(あしかがよしてる)を暗殺し(永禄の変、1565年)、のちには三好3人衆と敵対し東大寺周辺で戦いを交え、大仏殿に火を放ったとされました。
織田信長とは上洛前から手を結んでいましたが2度裏切りました。これらの悪行により松永久秀は歴史上「梟雄(きょうゆう)」とも呼ばれましたが、彼が築いた名城、多聞山城(たもんやまじょう)からは違った一面も見えてきます。
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