更新日: 2024年1月22日
興福寺が高台にあるワケ~藤原氏の権力の表れ?
藤原氏の氏寺、興福寺が建てられたのは、平城京の中心部から離れた外京。
そこは都を一望する高台にあり、寺の権威を示すために格好の場所でした。
目次
興福寺は藤原氏の氏寺!平城京の4大寺院のひとつ
藤原鎌足の病気回復を願い、鎌足の夫人が山背国(やましろのくに)(現在の京都府)に建立した山階寺(やましなでら)が起源とされる興福寺。その後、飛鳥に移転して厩坂寺(うまやさかでら)となり、和銅3(710)年の平城京遷都の折に鎌足の子、藤原不比等(ふじわらのふひと)によって平城京に移され、興福寺となったと伝えられます。
興福寺は藤原氏の氏寺でありながら、大安寺、元興寺、薬師寺とともに平城京の4大寺院に数えられました。もともと4大寺院のひとつは弘福寺(ぐふくじ)(川原寺(かわはらでら))でしたが、こちらは平城京へ遷都する際、飛鳥に残されました。興福寺がその地位に取って代わったことになります。そこには、大宝律令の制定や平城遷都に大きな役割を果たした藤原不比等の影響があったとされています。
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