更新日: 2024年1月22日
壬申の乱における大和三道!大海人皇子勝利のカギとなった!?
古代最大の内乱といわれる壬申の乱。
大和、近江、伊賀などを舞台に戦いが繰り広げられました。
大和ではすでに官道が整備され、戦いに重要な役割を果たしました。
目次
壬申の乱は古代最大の内乱!大和でも激しい戦いが繰り広げられた
天智天皇が亡くなった翌年の天武元(672)年、弟の大海人皇子(おおあまのみこ)と、天智天皇の息子の大友皇子の間で皇位継承争いが勃発しました。古代最大の内乱といわれる壬申(じんしん)の乱です。
戦いの主戦場は近江でしたが、大和でも大海人皇子に味方する大伴吹負(おおとものふけい)を将軍とする大海人軍と大友軍との激しい戦いが繰り広げられました。
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