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法隆寺は再建されたのか?明治以降続いた激しい論争
『日本書紀』によると、法隆寺は天智9(670)年、落雷により 「一屋余すことなく焼失した」 と記されています。そのため現在の西院伽藍は、7世紀後半に再建されたという説が有力です。
一方で、再建についての記録は残っておらず、建物が古い飛鳥時代の様式を残していることから、創建当時のままの姿であるという非再建説も根強くありました。明治以降、再建かそうでないかで激しい論争が続き、平行線の一途をたどっていました。
法隆寺再建説に落ち着いたものの近年の調査で謎が深まる!
論争に一旦終止符が打たれたのは、昭和14(1939)年。現在の西院伽藍の東南から塔跡と金堂跡が発掘されたのです。若草伽藍(わかくさがらん)と名付けられたこの伽藍は西院伽藍より古い、塔と金堂が縦一列に並んだ伽藍配置で、出土した瓦の年代から飛鳥時代の建立と判明。さらに2006年の調査では、若草伽藍跡から7世紀のものとされる焼け焦げた瓦や壁土が出土したため、法隆寺は一度焼失したのち再度建てられたという再建説に落ち着きました。
ただ、2005年に西院伽藍の五重塔で行われた調査で、五重塔の心柱の伐採年は、創建時よりかなり前の推古2(594)年と判明し、謎は深まっています。
法隆寺はいつ頃再建されたのか
法隆寺再建説が有力になりましたが、新たな疑念も生まれています。法隆寺はいつ頃再建されたのかということです。
2004年に奈良文化財研究所が発表した建築部材に関するデータによると、金堂の天井板の材の伐採年は、667年と668年。中門の材は699年頃と特定されました。火災で全焼したとされるのが670年なので、金堂の材はその前からすでに用意されていたことになります。つまり、火災より前に新たな金堂の工事が始まっていたと捉えることもできるのです。
法隆寺は再建ではなく新創建だった?
これについて建築家の武澤秀一(たけざわしゅういち)氏は、「かなり前から建築構想があり、再建ではなく新創建だった」という説を発表しています(『法隆寺の謎を解く』)。
その理由として、聖徳太子による創建当初の構造から大きく離れ、新しく建てられたことを挙げています。大規模な土木工事をしてまで場所を移し、土地区画割の角度を変え、伽藍の配置も全く異なっているのです。単純な再建ではない意図がここに隠れていると考えられます。
法隆寺新創建説の背景とは
背景には、聖徳太子一族と天皇家の皇位継承をめぐる確執があったとされます。聖徳太子の後を継いだ山背大兄王(やましろのおおえのおう)は、蘇我入鹿(そがのいるか)に攻められ一族もろとも法隆寺で自害しました。中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)を中心とした天皇家としては、忌まわしい事件現場を消し去り、新しい法隆寺を造って清浄たる天皇の威信を守る意図があったのではと考えられます。
そうなると既存の法隆寺は無用の存在。『日本書紀』が伝える火災は雷ではなく、人為的な放火とする説もあり、謎は深まるばかりです。
法隆寺建立の謎の解明は今後の新たな発見に注目!
聖徳太子一族の偉功が残る法隆寺から、新たな法隆寺を造ることによって、根付いていた一族への信仰も姿を変えました。一族の痕跡を消し、以前と場所も違えて祭られることで、人々の信仰心をある意味で薄めようとしたと考えられます。
法隆寺は単なる再建にとどまらず、その背後にはさまざまな政治的な思惑が錯綜していました。今後の新たな発見により、現状の説がどのように姿を変えていくか注目されます。
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