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崇仏論争は仏教の信仰をめぐる蘇我氏と物部氏のし烈な論争

仏教伝来は日本のあり方を揺さぶる大きなできごとであり、歴史的転換を引き起こすきっかけとなりました。その最たるものが仏教を信仰するか否か、いわゆる崇仏(すうぶつ)論争です。当時政局を二分していた蘇我氏と物部氏の間でし烈な論争が巻き起こったことが『日本書紀』にも記されています。

崇仏論争、崇仏派・蘇我稲目と排仏派・物部尾輿の争いが始まる

欽明天皇は、「こんなすばらしい教えは聞いたことがない」と喜び、仏教を受け入れるかどうかを群臣に尋ねました。大臣(おおおみ)の蘇我稲目(そがのいなめ)は、「諸外国はみな礼拝しているのに日本だけが背くことがありましょうか」と肯定しましたが、大連(おおむらじ)の物部尾輿(もののべのおこし)は、「外国の神を礼拝すれば、国神の怒りを招くでしょう」と反対しました。どちらかに決めかねた天皇は、稲目に仏像を預けて試みに礼拝させることにしました。

そこで蘇我稲目は小墾田(おはりだ)の向原(むくはら)の家を清めて仏像を安置し、寺としました。この向原の寺は日本仏教伝来における最初の寺とされます。ところがその後疫病が大流行し、多くの死者が出ました。物部尾輿はこのような事態になったのは仏像を祭ったせいだと批判し、天皇に奏上。向原の寺を焼き払い、仏像を難波の堀江に流し捨てました。

崇仏論争は蘇我氏と物部氏の代が変わっても続く

代は替わって敏達(びだつ)14(585)年、同様の事件が巻き起こります。崇仏派の蘇我稲目の息子、蘇我馬子(うまこ)は百済からもたらされた石像仏を手に入れて、礼拝できる僧侶を探しました。かつて僧だった高句麗出身の渡来人の導きにより3人の渡来系豪族の娘が出家。日本で初めての僧侶が生まれました。馬子は仏殿を建てて仏像を安置し法会を行いました。

崇仏論争は疫病の蔓延を背景にして蘇我馬子と物部尾守屋が争う

しかし翌年、馬子は病に倒れてしまいます。占いによると、原因は父・稲目のときに捨てられた仏像の祟りだといいます。馬子は敏達天皇の許しを得て仏像を祭ったが、疫病の蔓延はとどまらず多くの人が亡くなりました。これを理由に物部守屋(もののべのもりや)(尾輿の息子)は再び信仰の中止を進言。馬子の仏像を破壊して難波の堀江に流し、尼僧たちを捕らえて鞭打ちの刑にしました。

しかし、次は敏達天皇と物部守屋も病に倒れ、疫病の勢いは止まりませんでした。馬子はあらためて仏法の力を借りたいと天皇に訴え、天皇は馬子ひとりだけに仏教を認め、尼僧を馬子のもとに帰したのでした。

崇仏論争は崇仏派・蘇我氏の勝利

その後、蘇我氏の血縁である用明天皇が即位しますが、蘇我氏と物部氏の対立はますます激化していきました。用明天皇が崩御すると、皇位継承をめぐる争いに発展。馬子は後継者として自身の甥である泊瀬部皇子(はつせべのみこ)(のちの崇峻(すしゅん)天皇)を推し、守屋が擁立した穴穂部皇子(あなほべのみこ)らを討ち滅ぼします。そして用明2(587)年、丁未の乱(ていびのらん)を起こした馬子は厩戸皇子(うまやどのみこ)(のちの聖徳太子)とともに戦い、物部一族を滅ぼしました

仏法の流布を誓願して戦った馬子は勝利した翌年、日本最古の本格的な寺院である飛鳥寺の造営を開始したとされます。仏教が日本に受容された背景には、蘇我氏の長年にわたる尽力があったのです。

仏教伝来と蘇我氏ゆかりの地

仏教伝来と蘇我氏ゆかりの地

明日香村や桜井市周辺には、仏教受け入れに貢献した蘇我稲目と馬子ゆかりの地があります。奈良県最大の前方後円墳の丸山古墳または都塚古墳は、蘇我稲目の墓とする説があります。石舞台古墳は蘇我馬子の墓と考えられています。

仏教伝来と蘇我氏ゆかりの地

蘇我馬子の墓という説がある石舞台古墳

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<コラム>
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