更新日: 2024年1月22日
奈良の古墳は奈良盆地に密集!奈良盆地で古墳が造られなくなったのはなぜ?
古代の奈良では有力者により多くの古墳が造られました。
古墳は権力の象徴として巨大化し、ある時代を境に徐々に姿を消します。
そこには仏教伝来が関係していました。
目次
奈良の古墳は奈良盆地に密集!
古墳は、3世紀半ばから7世紀にかけて大王などを葬るために築かれた墳丘墓のこと。天皇や皇后が葬られたものは陵墓と呼んで区別されています。古代の政治の中心だった奈良盆地周辺では、丸山古墳や渋谷向山古墳(しぶたにむかいやまこふん)など大型の古墳が数多く造られ、今でもその壮大さをうかがい知ることができます。
奈良盆地周辺の主要な古墳群
「大和・柳本古墳群」は3~4世紀の築造とされます。続く4世紀後半~5世紀半ば頃に「佐紀盾列古墳群」が造られました。ほぼ同時期には「馬見古墳群」があり、ヤマト王権から離れた場所にあったことから、別の政治勢力の存在があったのではないかと考えられています。
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