亀の瀬地すべりと地質との関係
亀の瀬の地質を調べると、火山岩や堆積岩が積み重なってできた地層の表層を、亀の瀬の北方にあったドロコロ火山が数百万年前、2回噴出してできた溶岩が覆っていることが分かるといいます。
地すべりしやすいのは、弱い地層が変質して粘土層になった上に重い溶岩が乗ったこと、地殻変動により傾斜していることなどが理由として考えられます。
亀の瀬地すべりは、長さ約1100m、幅約1000m、深度は最大約70mにおよび、推定移動土塊量は約1500万㎥という、日本有数の大規模なものです。
亀の瀬地すべりの発生と被害
亀の瀬地すべりは、4万年以上前からたびたび起こっていたとみられます。
記録に残っているところでは、明治36(1903)年7月に発生したもので大和川(やまとがわ)が氾濫し、大きな被害が出ました。昭和6(1931)~8(1933)年にも断続的に起こり、浸水や国鉄トンネル崩壊などの被害が発生。
昭和42(1967)年2月に起きた際は、総面積50haに及ぶ大規模な地すべりに発展しました。
亀の瀬地すべり防止対策工事の開始
国は昭和35(1960)年から調査を開始し、亀の瀬地すべりを防止するための対策工事を進めました。
大別すると、地形・土質・地下水の状態などの自然条件を変える「抑制工」と、構造物を土塊に直接打ちこむことで地すべりに対する抵抗力をもたらす「抑止工」に分かれます。
抑制工としては、巨大な井戸を作る「集水井工(しゅうすいせいこう)」、集めた水を大和川へ排水する「排水トンネル工」、地中の水を集める「集水ボーリング工」、土塊を取り除く「排土工」などが行われました。
抑止工としては、杭を深く打ち込む「深礎工(しんそこう)」と、杭の力で土塊を止める「鋼管杭工(こうかんくいこう)」が行われました。
地すべり対策工事
抑制工と抑止工のさまざまな工法を組み合わせた総合的な土木技術で防止対策が取られ、世界最大級の地すべり対策工事となりました。
亀の瀬地すべり対策工事の完成
2011年3月におもな工事が完成し、近年は地すべり活動は沈静化しています。
しかし、今後も起こる可能性がないとはいえず、現地では工事の効果判定、異常気象時の監視などを目的に調査を継続中です。観測データは出張所・事務所の集中監視システムに送られ、状況はリアルタイムで把握されています。
監視施設の設置状況
全域に観測局、地下水位計などが設置されています。1時間ごとに観測データが送られ、最新状況をよりスピーディーに把握できるようになりました。
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