更新日: 2024年11月29日
邪馬台国が存在した場所とは?論争が続く畿内説と九州説から新たな進展があった?!
女王卑弥呼が統治する邪馬台国はどこにあったのか――。
古代史最大の謎のひとつである邪馬台国の所在地については、畿内説と九州説を中心に論争がなされてきましたが、結論はいまだに出ていません。
しかし、九州で発見された「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」が九州説を後押しする存在となっています。
目次
【邪馬台国の場所:従来説】畿内か九州のどちらかに存在した可能性が高い
女王卑弥呼が統治する邪馬台国はどこにあったのか――。
古代史最大の謎のひとつである邪馬台国の所在地については、畿内説と九州説を中心に論争がなされてきましたが、結論はいまだに出ていません。『魏志』倭人伝の記事に従い、邪馬台国の所在地を探る場合、中国からの方位をとれば九州、距離をとれば畿内にあったことになります。この不正確さが論争に終止符を打てない原因のひとつになっているのです。
邪馬台国の場所:畿内説の根拠
畿内説は、『魏志』倭人伝の距離に従って進むと、所在地は畿内になり、奈良県桜井市周辺や河内平野などが比定地とされています。
邪馬台国の場所:九州説の根拠
九州説は、『魏志』倭人伝の方位に従って進むと、所在地は九州のはるか南の洋上となりますが、福岡県山門郡や大分県宇佐市などが比定地とされています。
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