更新日: 2024年2月11日
【鎌倉七口】古道観光! 山を切り開いて造った7つの主要道切通しをめぐる
三方を山に囲まれた鎌倉で、陸路として掘削された古道。今もその風情が残る「鎌倉七口」と呼ばれる道を歩こう。
切通しとは?
人の往来や軍事物資の輸送用に山を掘削して切り開いて通した道路。山と海に囲まれた鎌倉は、敵の襲撃を防ぐのに好都合だったが、その一方、物資の輸送や人の往来も必要なため、北条泰時らが山を切り崩して道を通したという。
鎌倉に残る主要な7つの道、「巨福呂坂切通」「朝夷奈切通」「亀ヶ谷坂切通」「名越切通」「仮粧坂切通」「極楽寺坂切通」「大仏切通」が「鎌倉七口」と呼ばれている。「鎌倉七切通し」とも呼ばれることもある。
鎌倉七口
南に広がる海と三方を山に囲まれた鎌倉。中心部に城の天守があり、山が城壁、切通しが「城門」の役割をしていた。山が多いため複雑に入り組んだ地形が特徴。
【鎌倉七口】庚申塔や道祖神の石造が名残を感じさせる「巨福呂坂切通」
北鎌倉エリア
鶴岡八幡宮裏の雪ノ下方面から北鎌倉へ続く道として切り通された道。延応2(1240)年、北条泰時の命により切り通されたといわれる。現在の切通しは途中で私有地となり行き止まりになっているため、北鎌倉へ抜けることはできない。旧道の東には県道21号が走り、ここが巨福呂坂の新道となっている。
【鎌倉七口】かつての面影を色濃く残す七口きっての長い道が続く「朝夷奈切通」
金沢街道エリア
横浜の金沢地区から鎌倉に入るための切通しで、今も旧状をとどめている道。かつては東国の物資を運搬するための重要なルートであり、武将・和田義盛の三男・朝夷奈義秀が一夜にして切り開いたという伝説が残っている。坂の高低差があまり激しくないため、比較的歩きやすい切通しとなっている。
朝夷奈切通
- 住所
- 神奈川県鎌倉市十二所
- 交通
- JR横須賀線鎌倉駅から京急バス鎌倉霊園正面前太刀洗行きまたは金沢八景駅行きで17分、十二所神社下車、徒歩20分
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 情報なし
- 休業日
- 情報なし
- 料金
- 情報なし
【鎌倉七口】亀も引き返すほどの急坂は緑が映える古道「亀ヶ谷坂切通」
北鎌倉エリア
北鎌倉の山ノ内から扇ガ谷(旧亀ヶ谷)を結ぶ道。亀がひっくり返るほどの険しさであったことから、この名前がついたともいわれている。かつては崖から崩落した石が道をふさぎ、かなりの悪路だったそうだが、現在は舗装されているので、坂はきついが足元は歩きやすい。初夏になると山ノ内側はアジサイを見ながら歩くことができる。
【鎌倉七口】険しい古道はまさに切通しの醍醐味を実感「名越切通」
大町・材木座エリア
三浦半島と鎌倉を結ぶ、重要な道のひとつだった道。道の名前は「難越(なごし)」から変化して現在の「名越」になったともいわれ、この道を越えることは大変だったことを物語っている。現在も、坂の高低差や足場の悪いところなどがあり険しい道となっている。
【鎌倉七口】通行困難だったかつての面影を現在も感じることができる道「仮粧坂切通」
鎌倉駅周辺エリア
かつては東京・埼玉方面と鎌倉を結ぶ道として重要な出入口で、新田義貞が鎌倉攻めをした際の古戦場でもあった。防衛上の要所だった道は、勾配がきつく「鎌倉七口」のなかで最も急な斜面といわれている。石の階段というより岩の階段が続く道がほとんどだが、距離は短い。坂を上ったところは源氏山公園になっている。
【鎌倉七口】七口のなかで最西南にある道「極楽寺坂切通」
長谷・由比ヶ浜エリア
坂ノ下と極楽寺を結ぶ道で、藤沢方面、さらに京都と鎌倉を結ぶ西の玄関口だった。現在は舗装道路となり旧状をとどめてはいないが、かつては成就院の山門前とほぼ同じ高さだったといわれている。現在は、坂の勾配もさほどきつくなく、生活道路として人の往来だけでなく、車も通れる道となっている。
【鎌倉七口】岩場の中を歩いていく「大仏切通」
長谷・由比ヶ浜エリア
現在の大仏トンネルの山上に残る、常盤と長谷を結ぶ道。左右にそそり立つ岩壁の間を歩いていく狭い坂道には、道をふさぐかのような大きな石が点在し、楽に歩ける道にはなっていない。やぐら群やこけむした道もあり、いにしえの切通しの風情が残っていて、幽玄な雰囲気を醸し出している。
【鎌倉七口】ココも有名! 釈迦堂トンネル
住宅街が途切れたあたりに忽然と現れるトンネル。現在は崩落の危険があるため通行禁止。
釈迦堂切通
- 住所
- 神奈川県鎌倉市浄明寺1
- 交通
- JR横須賀線鎌倉駅から京急バスハイランド循環または鎌倉霊園正面前太刀洗・金沢八景駅方面行きで8分、杉本観音下車、徒歩15分
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 情報なし
- 休業日
- 情報なし
- 料金
- 情報なし
鎌倉を知るキーワード
【鎌倉×キーワード】鎌倉五山
「五山」とは南宋時代の中国にならった禅宗寺院の格付け制度。年々勢力を増す寺院を制御するため北条氏が採用した。また鎌倉時代には「尼五山」という尼寺の格付けもあったが、現在は第二位の東慶寺だけが残る。
一位 建長寺
二位 円覚寺
三位 福寺
四位 浄智寺
五位 浄妙寺
【鎌倉×キーワード】鎌倉五水(鎌倉五名水)
水質の悪かった鎌倉で、江戸時代に選定された5か所の湧き水。銭洗弁財天の銭洗水、朝夷奈切通の梶原太刀洗の水、名越切通の日蓮乞水、今はないが建長寺前にあった金龍水、不老水を指す。
・梶原太刀洗水
・金龍水(現在はなし)
・不老水(現在はなし)
・銭洗水
・日蓮乞水
【鎌倉×キーワード】鎌倉十橋
市内の川に架かる代表的な十の橋。かつては情緒ある橋だったが、ほとんどがコンクリート製になり、夷堂橋や歌ノ橋、琵琶橋のように現存している橋もあれば、乱橋や勝ノ橋など石碑が残るのみの橋もある。
・歌ノ橋
・筋違橋(現在はなし)
・逆川橋
・裁許橋
・夷堂橋
・琵琶橋
・乱橋(現在はなし)
・針磨橋
・勝ノ橋(現在はなし)
・十王堂橋
【鎌倉×キーワード】鎌倉十井
海に近い鎌倉では、昔から良質の水が湧く井戸を大切にし、なかでも名水が湧く10の井戸を十井と呼んだ。極楽寺坂切通付近の星月ノ井、明月院の瓶ノ井、浄智寺の甘露ノ井、海蔵寺の底脱ノ井などがある。
・鉄ノ井
・泉ノ井
・星月ノ井
・瓶ノ井
・棟立ノ井
・底脱ノ井
・銚子ノ井
・六角ノ井
・甘露ノ井
・扇ノ井
【鎌倉×キーワード】やぐら
山の岩肌をくりぬいて造った墓所。平地が少なく急な崖に囲まれた鎌倉特有のもの。山頂や住宅街にも残り、その数は3000とも4000ともいわれている。
【鎌倉×キーワード】谷戸
山々から延びる、ひだとひだの間にできた谷のことを「谷戸」または「谷(やつ)」と呼ぶ。この谷戸に道が造られ、多くの寺社もここを利用して建てられ、街として発展した。
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【筆者】まっぷるマガジン編集部
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